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カラオケスナック セブン の日記

明月姫

2012.09.24

昨夜、お店から自宅へ歩いて帰っているときに夜空を見上げると半月が浮かんでいました。夜がふけると夏服では少し肌寒くなりましたね。特に昨夜は、この秋一番の涼しさだったそうです。これから駆け足で秋が深まっていくのでしょう。そろそろ衣替えの時期になったようですね。9月は長月(ながつき)といいますが、確かに9月になって急に日が暮れるのが早くなり夜が長くなったので長月という呼び方は時候にピッタリ合っていますよね。

さて、今年の中秋の名月は9月30日(旧暦8月15日)の日曜日ですが、尼崎市の尾浜八幡神社では毎年、中秋の名月の日に「名月祭」という祭祀が執り行われています。名月祭とは遠い昔、平安時代の頃に現在の尼崎市の尾浜町付近で生まれた「明月姫」の供養祭です。明月姫は稀に見る美女だったそうで、明月姫のその美貌の評判は遠く京の都まで届いたそうです。ところで「明月姫」とは、どんな女性だったのでしょうか。今日は尼崎市に伝わる明月姫の物語を紹介します。

明月姫の物語・・・平清盛が権勢を振っていた平安時代に現在の尾浜町あたりの地頭であった三松国春(みまつくにはる)に念願の子供が授かりました。授かったのは女の子で中秋の名月の日に生まれたので国春は「明月姫」と名付けて大切に育てました。明月姫が成長するとともに、その美貌の評判は町中に広がり、やがてその評判は京の都にまで届くようになりました。そんなある日、能勢の豪族であった家包(いえかね)が偶然、野遊びをしている十代半ばの明月姫に一目ぼれし無理やり能勢に連れて帰り正妻にしてしまったのです。名月姫が家包にさらわれたとを知らない国春は名月姫が神隠しにあったと思い悲嘆にくれ無常を感じ西国の旅に出ました。そのころ平清盛は神戸の港である大和田泊に防波島を築くため陰陽師の占いに従い30人の人柱を確保しようと神戸の生田の森に関所を設け通行人を捕えていたのでした。奇しくも30人目に捕われた通行人は西国の旅からの帰りであった国春でした。明月姫はそのころ家包とともに能勢で暮らしていましたが国春が捕えられた夜に夢枕に老翁が現れ明月姫に父、国春が人柱として生田の森に捕われていることを告げたのです。驚いた明月姫と家包は、すぐに神戸に向かい家包と親しい平清盛の家来であった松王丸に国春の命乞いをし国春と捕えられていた他の人達を救ったのです。それから数年後、家包が亡くなると明月姫は尾浜町に帰り亡くなった家包と両親の菩提寺として大日堂を建立し自身も庵居しました。その大日堂があった場所が現在の尾浜八幡神社だそうです。明月姫の物語は父の命を救った娘の親孝行の物語なのですね。実は明月姫の物語は諸説あるようで能勢に伝わる説話によると明月姫の美貌の評判を聞きつけた平清盛が能勢の家包に嫁いだ明月姫を家包から離別させるために神戸に呼び寄せようとしたものの明月姫は神戸に向かう道中、能勢の山中で貞節を守るために自害したという悲話もあります。明月姫が自害した場所は名月峠と名付けられ今も現存しているようです。

月にまつわる物語は、かぐや姫伝説で有名な「竹取物語」がありますが、ここ尼崎市にも月にまつわる物語があったのです。「竹取物語」は最古のサイエンス・フィクションなので「かぐや姫」は実在していませんでしたが尼崎に伝わる「名月姫」は遠い昔の平安時代に実在していました。9月30日の中秋の名月の日に「明月姫」の物語を思い出しながら夜空に浮かぶ満月を御覧になってはいかがでしょうか。

え?誰ですか?私なら家包や清盛は見向きもせずにスルーするだろうと呟いた人は・・・おっしゃる通りです・・・ハイ(>_<)





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